珍しく

旬のものを意識した生活をしてみたくなりました。

季節感

うちはちょっとした丘の上にあって、坂の多い雑木林がすぐ近くにあるので、時間を見つけてはそこを走り回る謎の活動にはまっている。

 

自然大好きっ子スウェーデン人は、住宅地の中にある林にだってどんどん踏み入れて行くらしい。そして私はその残された足跡のような筋を行ったり外れたり、岩っぽい間を登ってみたり、”なるべく真っ直ぐ行かない”というルールの名の下にとにかく気がすむまでグルグル行ったり来たりする。結構いろんな人が散歩してるはずなのに、なぜか鉢合わせることは無いので、気が楽というのもいい。

 

毎日うろうろしていると、テント張って住んでる人を見かけたり、秘密基地が日々建てられてたりと発見も多い。

 

今はキノコの季節。人間が食べられるものは人間以外にも美味しいらしく、出てきた瞬間に食われてるようなものばっかり見かける。自分からは見え無いところでなんかの虫がこのキノコ食べて生きてんだなーと。これは食べたら間違いなく笑いが止まらなくなって最後死ぬな、という見かけのものは、大体無傷で不気味な照りを出して輝いている。

 

よく目にする近所の風景でも、移り変わっていくものを目にすると何か心がジーンとする感覚。風情ってこういう事?紫色のキノコ?

 

ともあれスウェーデンはすっかり秋です。

 

 

 

家へ

 

夏休みはとっくに終わっていた。夏の終わりの儚さは一体何から来るのだろう。

久しぶりのスウェーデンは相変わらず静かだ。

まだ日差しもそんなには衰えておらず、自宅の植物は友人が水やりに来てくれてたおかげで驚くほど成長していた。昔、長期休暇のあとに学校へ行くのがすごくドキドキしてどんな顔して友達に会ったらいいのか分からなかった感情は、今も自分の中に残っている。そして大人になった今、夏休みは子供の時より大幅に長くなり(しかも今年は諸事情でさらに少し延ばした)仕事場に行く足取りもとてもぎこちなるのだが、2ヶ月強は会ってない同僚たちと会えるのは嬉しくてお互いに再会を喜んだ。

 

またここへ戻ってきた。「家」から「家」へ。

それぞれの「家」の持つ意味はもちろん違う。ヨーロッパでの生活は10年を超え、今はスウェーデンに生活のほとんどの基盤がある。実際日本から戻ると、落ち着く面も正直ある。日常。日本という国についてはここ最近自分の中で「生まれ故郷」的な特別な地位を得て存在している。その感覚は日本にずっと住んでたら生まれなかったかもしれない。だから、夏休みのこの2ヶ月間の出来事すべては故郷で起きた、という憂を持たせて少し余計にドラマチックに語ることだってできる。ホームシックへもってこいの種である。

この毎年繰り返される家間の移動は私には本当に大事な意味を持つのだ。行ってきますとただいまを言えるの本当の家。 それがあるということ。