Vitling

ヨーテボリには新鮮な魚介類がたくさんある。タラとシャケ以外もこれからは食べていく。そしてメモ。

Vitling (英 Whiting) 100krくらい?忘れた。。

タラの仲間らしいので、あんかけ。冷蔵庫にニンジンしかなかった。

今日

今日は何をしたっけ、なんて振り返る日はあまり多くない。こんなことがあったな、あの人に会ったな、天気はどうだった。過ぎゆく一日を惜しみながら終えるのは、自分に楽しいことや、嬉しいことが会った時。悲し悔しく終心抉られながら終える時もあるのだけど。そういう忘れられない日は今までの人生でも何度もあって、この感覚、忘れるものか!と思うけど、私は割とすぐに忘れてしまう。記憶が薄れても、経験が確実に自分の中に蓄積され自分自身の感覚なりを形作っているものだと思ってる。そうでも思わないと、元も子もないからではない。さておき、今日は予定でも普段通りに過ごす一日だった。朝起きて支度をして、冬に近い秋の新鮮な空気で目を冷ましながら自転車で仕事場まで行く。リハーサルをしたり、自分の練習をしたり、同僚と打ち合わせをしたりコーヒーを飲んだりした。友達と帰りがけに寒いテラスで夕焼けを見ながらビールを飲んだ。ついでにスーパーに一緒に買い物に行ったら、ほろ酔いで空腹だったので、二人して山のように要るものとそうでないものを買ってしまった。今夜は公演も無いので家でぼんやり過ごす。振り返ってみても、本当に普通だった。あえて言ったら全てが穏やかで、とにかく空が一日中綺麗で、みんながにこにこしてた(ように見えただけでも)。今日が来るのをずっと待ちわびていたから、美しく見えたのだろうか。待ちわびていた今日となったが10月25日。私は何でもない一日を幸せに過ごしたのだが、不思議とその幸せな感覚をずっと覚えていたいというよりも、今日の風景を、記憶として持ち続けていたいと思う一日になった。

また天井を見上げる。同時にあばら骨ストレッチも出来ちゃうからやっぱりうちの天井は健康にも良くて最高。

Tシャツ

服を毎日取り替えて当たり前だという習慣だったので、
同僚が平気で次の日も同じTシャツを着てるのを見た時は、目から鱗だった。
Tシャツだから肌に触れる。
靴下もそう。
日本ではあまりそういう人を見ないので最初は「えっ」てなったけど、
次の瞬間に、『なんで自分は「えっ」って思うの』となった。
リハーサルどころではなくなった。
「なんで自分は服を毎日変えるのだろう」と。
なぜ今日も同じTシャツを着てるのか、について本人に問うたことはないが、きっと変える必要がないと言いそうだ。そのTシャツが大のお気に入りであり、夜な夜な洗ってる感じでもない。
基本的にオーケストラピットというのは限られた空間に大勢がいるので、暗黙の了解というか皆、周囲の人々への配慮はちゃんとしてて、香水を鬼のようにふりかけてくる人とかもいない。人それぞれ、身だしなみはきちんとしている。そしてそのTシャツを続けて着てくる同僚(複数名)も、ちゃんと清潔感がある。
北ヨーロッパは、汗をかきにくい。
スウェーデンは都市部でも割と空気もきれい。あとスウェーデン人って体臭無いような。。(うちの職場だけかな?)
だからいいのか。
どうなのか?
でももし、『Tシャツを毎日変えないから』という理由だけで、私の同僚を清潔ではないという人がいれば、それは何を基準に言っているのか逆に聞いてみたいと思う。
Tシャツを1日に1度変えるくらいでは清潔感が足りず、汗もかかずに4、5枚変えなきゃ気が済まない人もいるのだろう。
Tシャツを変える頻度って皆違うのかな。
大分その思いを温めたのちに、とりあえずは休みの日、仕事に行かなくていい日にやってみた。
夜シャワーを浴びる時にTシャツ脱ぐ〜寝巻き(別のもの)着る〜朝起きる〜昨日着たTシャツまた着る
驚いたことに、何ともなかった。日はまた昇った。
今まで当たり前のようにポポイポイと洗濯カゴに入れてたアレはなんだったんだろう。
ところが後日、このTシャツはまた明日着れる、とソファの脇に置いといたのを忘れて他のTシャツを出し、その忘れられた方を数日後に気づき「あっこれは」と思い着てみたのだが、その時は違った
再び着るのが遅かった。
魂が抜けてるのだ。もうそのTシャツは『洗われるのみ』という意思表明を全力で残し、死んでいた。
この違いは一体何なのであろうか?
他にも、お酒を飲んだ翌日のTシャツは着る気にならない、など自分の中で次の日も着れるTシャツのコンディションと洗うタイミングが徐々にはっきりわかるようになってきた気がする。むしろ今は次の日も同じTシャツを着られるように、自分自身をもっと清潔に保とうという風に考えてる。考えてみたらものすごい真剣にTシャツを着てる。
日をまたいで同じTシャツが着れるようになった時、自分もついにヨーロッパかぶれかと思い震えた。そのうちハンカチで鼻をかみだすかもしれない。お誕生日に菊の花束を渡すかもしれない。何だろう。

 

いろいろ起こる

この時期は決まって、いいことが起こらない。

顔に謎のブツブツができたり、指を少し怪我したり、生活に支障をきたさない程度の障害が降りかかってくる。

今年は天気による気分の下りもないし、体調もいいから、おっしゃ!と思っていたら、立て続けにいろいろ失くなったり、なかなか来なかったり、すごい続いている。

練習室に弓の空ケースを置き忘れたら、消えて、(一週間後に別の部屋で同僚により発見される)、オンラインでヴァイオリンのケースを注文したら発送されてから全然来なかったり(実際は近所までとっくに届いてたのにウチにお知らせが来るまで1週間くらい掛かってた)、なんか連絡が取れなかったり、今はクリーニングに出した本番着のスーツのズボンが行方不明中。

 

このようなツイてないことが毎年この季節に起こるので、これは、2月6日である誕生日へ向かって、何か一年のサビ落としというか、色々清算されてまた新たな一年を迎えるために生まれ変わっているのだと思うようにしている。スーツの下だけ無いのはすごく困るのだが、身に降りかかる不幸が、この程度のことで済んで良かったと思えなくも無い。

 

 

 

 

でも、もちろん嬉しいいいこともあった。今年は日本とスウェーデンの外交関係樹立150周年ということで、ストックホルムとヨーテボリにて記念コンサートが行われ、二十五弦箏奏者の中井智弥さんと共演させていただいた。中井さんが二十五弦箏と尺八のために作曲した「櫻川」という美しい曲を中井さんのお箏とヴァイオリンで演奏した。こんな機会で演奏させていただいて光栄なことは言うまでもなく、中井さんと共に素晴らしい演奏をお聴かせくださったお二方の和楽器奏者、山本普乃さんと長須与佳さん、そして大使館の方々との出会いがあり、楽しい時間があり、かと思えば、ふとスーツのズボンの事を思い出し気を揉んでみたり、ほんと話がまとまらないまま時は流れていきます。

クリスマス。
朝の空港にて、出発時間が重なった友達とコーヒーを飲みながらお互い別のフライトを待つ。
いざ自分の飛行機に乗ろうとしたら、違う友達がトロンボーンを背負って同じ飛行機に乗るとこだった。
バルセロナに到着し、訪ねた友達が仕事から上がるのを待っている。
なんかいいな〜